2011年12月アーカイブ
松下幸之助の起業の地(大阪市東成区)に行きました。
今里にあります。ほぼ生野区だと思います。
生野区はトレンドを先取りしている地域だと、僕はひそかに考えています。
ジャンボカラオケを初めて見たのも生野区だし、クレープを初めて食べたのも生野区です。ディスカウントショップも生野発ではないかな?
生野は確かに不良が多いです。
僕も子供の頃、シンナー吸引中の方に追いかけられた経験があります。
早朝の公園で「かめはめ波」の打ち合いをしている人がいたと生野区在住のいとこからきいたこともあります。クレイジーな土地というと、地元の人に怒られるかな。
それにしても、時代を動かしてきたのはいつも不良だと思います。生野には進取の気質があるのではないでしょうか?地価の問題でチャレンジしやすいということもあるのでしょうが。起業時は身軽な方がいいですものね。
松下がこの地で起業したということに妙に納得しました。
今里にあります。ほぼ生野区だと思います。
生野区はトレンドを先取りしている地域だと、僕はひそかに考えています。
ジャンボカラオケを初めて見たのも生野区だし、クレープを初めて食べたのも生野区です。ディスカウントショップも生野発ではないかな?
生野は確かに不良が多いです。
僕も子供の頃、シンナー吸引中の方に追いかけられた経験があります。
早朝の公園で「かめはめ波」の打ち合いをしている人がいたと生野区在住のいとこからきいたこともあります。クレイジーな土地というと、地元の人に怒られるかな。
それにしても、時代を動かしてきたのはいつも不良だと思います。生野には進取の気質があるのではないでしょうか?地価の問題でチャレンジしやすいということもあるのでしょうが。起業時は身軽な方がいいですものね。
松下がこの地で起業したということに妙に納得しました。
「銀河鉄道の夜」(宮沢賢治)を読みました。
※新潮文庫版のまったく手の加えられていないバージョンです。
法華信者・宮沢賢治の作品。あまり語られませんが、彼は国柱会(田中智学が創始した日蓮主義団体)の会員でもあります。
※田中智学は現在わたしたちが宗教の活動だと考えるほとんどのこと(災害派遣や新聞発刊・映画制作など)を考えた人です。
それはともかく、非常にセンシティブな作品ですね。
作品の中のお話しで、サソリがいたちから逃れようとして井戸に落っこちて、祈りながら次のようにいう場面があります。
みのもんたさんはこんなこと考えたことあるのかな?
※新潮文庫版のまったく手の加えられていないバージョンです。
法華信者・宮沢賢治の作品。あまり語られませんが、彼は国柱会(田中智学が創始した日蓮主義団体)の会員でもあります。
※田中智学は現在わたしたちが宗教の活動だと考えるほとんどのこと(災害派遣や新聞発刊・映画制作など)を考えた人です。
それはともかく、非常にセンシティブな作品ですね。
作品の中のお話しで、サソリがいたちから逃れようとして井戸に落っこちて、祈りながら次のようにいう場面があります。
「~略~ ああ、わたしはいままでいくつのものの命をとったかわからない、そしてその私がこんどいたちにとられようとしたときはあんなに一生けん命にげた。それでもとうとうこんなになってしまった。ああなんにもあてにならない。どうしてわたしはわたしのからだをだまっていたちに呉れてやらなかったろう。そしたらいたちも一日生きのびたろうに。どうか神さま。私の心をごらん下さい。こんなにむなしく命をすてずどうかこの次にはまことのみんなの幸のために私のからだをおつかい下さい。」この感じやすさは何なんでしょうか?(「銀河鉄道の夜」 9.ジョバンニの切符)
みのもんたさんはこんなこと考えたことあるのかな?
赤ちゃんが生まれました。
※11月19日の話です。
条件のそろっていない、僕なんかの家に生まれてきてくれました。
ハイデガーの被投性の問題(人は選んだわけでも、望んだわけでもない、この世に突然投げ出される存在である)を考えてしまいます。
我が子に天才になってほしいとか、成功者になってほしいとかいう願望は(今のところ)ありません(→子供におもいを託すというのは、それはそれで一つの価値観であり、素晴らしいものです。否定するものではありません)。
(僕ら夫婦の場合は)それよりも、周りの人がホッとするような人になってほしい。
主体性を持って自己決定していく人というよりは、周りにいる人を大事にするような人、また、周りの人に大事にされるような人になってほしいと思います。
「歌乃(うたの)」(女の子)と名付けました。
うた(歌・詩)というのは、人を勇気付けたり 悲しんでる人をなぐさめたりするものだと、僕は思います。あと祈ったりとか。
周りの人がそこにいて安心するような存在になってほしいと思って、「うたの」という名前にしました。
マルティン・ハイデガーの「投企(主体性を持って生きる)」と中山みきの「陽気ぐらし」なら陽気ぐらしを重んじてほしい。
僕に似ずに家内に似てほしいと切に思います。
※11月19日の話です。
条件のそろっていない、僕なんかの家に生まれてきてくれました。
ハイデガーの被投性の問題(人は選んだわけでも、望んだわけでもない、この世に突然投げ出される存在である)を考えてしまいます。
我が子に天才になってほしいとか、成功者になってほしいとかいう願望は(今のところ)ありません(→子供におもいを託すというのは、それはそれで一つの価値観であり、素晴らしいものです。否定するものではありません)。
(僕ら夫婦の場合は)それよりも、周りの人がホッとするような人になってほしい。
主体性を持って自己決定していく人というよりは、周りにいる人を大事にするような人、また、周りの人に大事にされるような人になってほしいと思います。
「歌乃(うたの)」(女の子)と名付けました。
うた(歌・詩)というのは、人を勇気付けたり 悲しんでる人をなぐさめたりするものだと、僕は思います。あと祈ったりとか。
周りの人がそこにいて安心するような存在になってほしいと思って、「うたの」という名前にしました。
マルティン・ハイデガーの「投企(主体性を持って生きる)」と中山みきの「陽気ぐらし」なら陽気ぐらしを重んじてほしい。
僕に似ずに家内に似てほしいと切に思います。
写真は天理教京城大教会(京都市)です。
11月18日、朝から陣痛があって いつ生まれるかわからない時に、気分が落ち着かなかったので参拝させてもらいました。身の上を話すと、お茶までだしてもらい、励ましてくださいました。
今まで散々、神社仏閣を巡ったので、八百万の神様が僕にはついていたはずです。(こんだけ巡って何かあったら嘘だと)心配はしていませんでしたが、最後、一番あやしげであり、かつ僕には一番親しみのある天理王命にお祈りしました。(おかげで、へその緒が首に二重にからみついていたにも関わらず、無事出産しました)
京都の骨董屋をウインドウショッピングしていると本阿弥光悦の書がディスプレイされていました。池大雅の水墨画が200万で売られていました。
僕はこのまま世の中に何も残せないかもしれませんが、子供は残せました。
11月18日、朝から陣痛があって いつ生まれるかわからない時に、気分が落ち着かなかったので参拝させてもらいました。身の上を話すと、お茶までだしてもらい、励ましてくださいました。
今まで散々、神社仏閣を巡ったので、八百万の神様が僕にはついていたはずです。(こんだけ巡って何かあったら嘘だと)心配はしていませんでしたが、最後、一番あやしげであり、かつ僕には一番親しみのある天理王命にお祈りしました。(おかげで、へその緒が首に二重にからみついていたにも関わらず、無事出産しました)
京都の骨董屋をウインドウショッピングしていると本阿弥光悦の書がディスプレイされていました。池大雅の水墨画が200万で売られていました。
僕はこのまま世の中に何も残せないかもしれませんが、子供は残せました。
「沈黙」(遠藤周作)を読みました。
篤い信仰心を持って踏絵を踏まないものではなく、踏んでしまう弱い人間の側からの信仰を描いています。
篤い信仰心を持って踏絵を踏まないものではなく、踏んでしまう弱い人間の側からの信仰を描いています。
後期講習で唯一、質問した先生(柏木庫治の直弟子)の口から出た小説であり ずっと読まねばならぬと思っていた作品です。
考えさせられました。ズシリと重い読後感です。
考えさせられました。ズシリと重い読後感です。
コーナンで並んでいる時 前のおばさまが チャングンソクの写真がのってるという ただそれだけの理由でボトルタイプのガムを買ってました。
既存のマーケティングなど ぶち壊す 消費行動ですね。いや、狙い通りなのかな?
ガムを見つけた、普段は愚鈍そうな丸メガネをつけた息子さんを 褒めちぎってました。
既存のマーケティングなど ぶち壊す 消費行動ですね。いや、狙い通りなのかな?
ガムを見つけた、普段は愚鈍そうな丸メガネをつけた息子さんを 褒めちぎってました。
北村美術館(京都市)に行きました。
魯山人の器を見ました。
楽の茶碗をみたあとだったので あまり感動しませんでした。
魯山人の器を見ました。
楽の茶碗をみたあとだったので あまり感動しませんでした。