2011年12月アーカイブ

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Tシャツをもらいました。
夫婦で1枚ずつもらいました。

「obong」とロゴが入っています。
すっきりしたデザインで主張しすぎてないのがいいですね。
自分の名前(おぼん)でなく「g」を入れることで、名前なのか何のことかわからなくなるところが、控え目でナイス。

作ってくれた人は、周りにいるすごい人の一人で、器用でだいたい何でもできる人です。ほんとになんでもできますね。

カメラももらいました。

良いのをもらいました。
皆、そんなに余裕がないのに、と思うと身にしみます。
ありがたい。これからバシャバシャ撮ります。

僕はお金はありませんが、周りの人にめぐまれています。
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松下幸之助の起業の地(大阪市東成区)に行きました。

今里にあります。ほぼ生野区だと思います。
生野区はトレンドを先取りしている地域だと、僕はひそかに考えています。
ジャンボカラオケを初めて見たのも生野区だし、クレープを初めて食べたのも生野区です。ディスカウントショップも生野発ではないかな?

生野は確かに不良が多いです。
僕も子供の頃、シンナー吸引中の方に追いかけられた経験があります。
早朝の公園で「かめはめ波」の打ち合いをしている人がいたと生野区在住のいとこからきいたこともあります。クレイジーな土地というと、地元の人に怒られるかな。

それにしても、時代を動かしてきたのはいつも不良だと思います。生野には進取の気質があるのではないでしょうか?地価の問題でチャレンジしやすいということもあるのでしょうが。起業時は身軽な方がいいですものね。

松下がこの地で起業したということに妙に納得しました。
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和歌山県立近代美術館を見てきました。

休館日で中には入れませんでした。
ピカソの「泣く女」があったり、イサムノグチの彫刻などもあるそうです。マティスみたかった。残念。

建物は黒川紀章の作。バブルの産物。水がちょろちょろ流れるはずのところに水が流れてないのは悲しいですね。
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和歌山城(和歌山市)に行きました。
「銀河鉄道の夜」(宮沢賢治)を読みました。
※新潮文庫版のまったく手の加えられていないバージョンです。

法華信者・宮沢賢治の作品。あまり語られませんが、彼は国柱会(田中智学が創始した日蓮主義団体)の会員でもあります。
※田中智学は現在わたしたちが宗教の活動だと考えるほとんどのこと(災害派遣や新聞発刊・映画制作など)を考えた人です。

それはともかく、非常にセンシティブな作品ですね。
作品の中のお話しで、サソリがいたちから逃れようとして井戸に落っこちて、祈りながら次のようにいう場面があります。

「~略~ ああ、わたしはいままでいくつのものの命をとったかわからない、そしてその私がこんどいたちにとられようとしたときはあんなに一生けん命にげた。それでもとうとうこんなになってしまった。ああなんにもあてにならない。どうしてわたしはわたしのからだをだまっていたちにれてやらなかったろう。そしたらいたちも一日生きのびたろうに。どうか神さま。私の心をごらん下さい。こんなにむなしく命をすてずどうかこの次にはまことのみんなのさいわいのために私のからだをおつかい下さい。」
(「銀河鉄道の夜」 9.ジョバンニの切符)
この感じやすさは何なんでしょうか?

みのもんたさんはこんなこと考えたことあるのかな?
円山公園.jpg
円山公園(京都市)に行きました。

小川治兵衛の作庭。
赤ちゃんが生まれました。
※11月19日の話です。

条件のそろっていない、僕なんかの家に生まれてきてくれました。
ハイデガーの被投性の問題(人は選んだわけでも、望んだわけでもない、この世に突然投げ出される存在である)を考えてしまいます。

我が子に天才になってほしいとか、成功者になってほしいとかいう願望は(今のところ)ありません(→子供におもいを託すというのは、それはそれで一つの価値観であり、素晴らしいものです。否定するものではありません)。

(僕ら夫婦の場合は)それよりも、周りの人がホッとするような人になってほしい。

主体性を持って自己決定していく人というよりは、周りにいる人を大事にするような人、また、周りの人に大事にされるような人になってほしいと思います。

「歌乃(うたの)」(女の子)と名付けました。
うた(歌・詩)というのは、人を勇気付けたり 悲しんでる人をなぐさめたりするものだと、僕は思います。あと祈ったりとか。
周りの人がそこにいて安心するような存在になってほしいと思って、「うたの」という名前にしました。

マルティン・ハイデガーの「投企(主体性を持って生きる)」と中山みきの「陽気ぐらし」なら陽気ぐらしを重んじてほしい。

僕に似ずに家内に似てほしいと切に思います。
京城大教会.jpg写真は天理教京城大教会(京都市)です。

11月18日、朝から陣痛があって いつ生まれるかわからない時に、気分が落ち着かなかったので参拝させてもらいました。身の上を話すと、お茶までだしてもらい、励ましてくださいました。

今まで散々、神社仏閣を巡ったので、八百万の神様が僕にはついていたはずです。(こんだけ巡って何かあったら嘘だと)心配はしていませんでしたが、最後、一番あやしげであり、かつ僕には一番親しみのある天理王命にお祈りしました。(おかげで、へその緒が首に二重にからみついていたにも関わらず、無事出産しました)

京都の骨董屋をウインドウショッピングしていると本阿弥光悦の書がディスプレイされていました。池大雅の水墨画が200万で売られていました。

僕はこのまま世の中に何も残せないかもしれませんが、子供は残せました。


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春日大社(奈良市)に行きました。

以前 真っ暗な参道を鹿のフンを踏んずけながら途中まで行って引き返しましたが、今回は本殿にたどり着きました。

「沈黙」(遠藤周作)を読みました。

篤い信仰心を持って踏絵を踏まないものではなく、踏んでしまう弱い人間の側からの信仰を描いています。
後期講習で唯一、質問した先生(柏木庫治の直弟子)の口から出た小説であり ずっと読まねばならぬと思っていた作品です。

考えさせられました。ズシリと重い読後感です。
コーナンで並んでいる時 前のおばさまが チャングンソクの写真がのってるという ただそれだけの理由でボトルタイプのガムを買ってました。
既存のマーケティングなど ぶち壊す 消費行動ですね。いや、狙い通りなのかな?
ガムを見つけた、普段は愚鈍そうな丸メガネをつけた息子さんを 褒めちぎってました。

興福寺.jpg興福寺(奈良市)に行きました。

阿修羅像の横顔が見たかったのです。

高校の先生がありがたがってウンウンと頷きながら国宝の千手観音立像の解説を読んでいました。生徒にウンチクを述べている横で、女子高生が小声で「(この像)何かこわいよね」と言っていました。僕も同じ感想でした。女子高生と同じ感想だったので恥ずかしかったです。
でも、その直感はきっと正しいと思います。その女子高生にはその感覚をずっと持っていてもらいたいです。
南円堂.jpg南円堂に行きました。
興福寺の塔頭になるのかな?
西国三十三箇所巡りの第9番礼所。
楽美術館.jpg楽美術館(京都市)に行きました。
楽家の茶碗を見てきました。
この「素人っぽい」茶碗を優れていると言いきった、千利休は本当にクールです。
意匠に進歩や進化はあっても初代の長次郎の瀬戸黒にはかなわないように素人眼にはうつりました。

北村美術館(京都市)に行きました。
魯山人の器を見ました。
楽の茶碗をみたあとだったので あまり感動しませんでした。

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