2011年10月アーカイブ

六角堂.jpg
六角堂(京都市)に行きました。
西国三十三箇所巡りの十八番礼所。

親鸞が夢で聖徳太子に会いお告げをもらったところだそうです。
その時に、妻帯のアイデアが浮かんだとか。
壬生寺.jpg壬生寺(京都市)に行きました。
新選組が武芸の鍛錬に使ったところです。
愛町分教会.jpg
天理教愛町分教会(名古屋市)に行きました。

早朝にもかかわらず、60~70人くらい人がいました。
柏手が異様に早かった。あれは愛町の文化なのかな。はやく帰りたい時にする柏手と同じくらい早かった。愛町.jpg

初代の関根豊松会長の銅像がありました。
僕だけ拝しない訳にもいかないので、拝してきました。

広場に舞台が設営されていました。
来月、青年会の行事で使うそうです。
漫才師を呼ぶ雰囲気はありませんでした。

敷地は広かったですが、建物は想像してたよりも小ぶりでした。
初代会長の遺志を継いでるのか。
初代についてあまり知識がないのでわかりませんが、「教会をつくるよりも人間をつくりたい」ということなのでしょう。単純に人が増えたから大きくしてやろうという感じではなかったです。(少なくともポーズとしては)運営してる側は、絶妙なバランス感覚でやっているのだと思います。

朝づとめには参加できませんでしたが、愛町の雰囲気は感じられました。
熱田神宮.jpg
熱田神宮に行きました。

社殿が新しいので、雰囲気がないように思いました。
以前の建物は、戦時中の空襲で燃やされました。


栄(名古屋)にいます。

セ・リーグでは中日ドラゴンズが優勝したみたいですね。
一般人がはしゃいでいる映像が報道されてるみたいですが 、昨夜こちらではあまり騒いだ人は見かけませんでした。現地は冷ややかなもんです。
飲み屋の女でさえ、野球が話題に上らなかった。不景気ですね。
号外もみかけなかったし。
それにしても、何故 号外がでると2枚もらおうとするのでしょうか?
お母さんにもあげようとか思って、2枚もらうんですよね。
それはそうと、現代人は一体感というのをもう感じられないかもしれませんね。

111018_120623.jpg名古屋城に行きました。
湖東大教会2.jpgのサムネイル画像再び、湖東大教会に行きました。

夕勤め前で呼び太鼓が鳴っていました。
全国各地で(このくらいの時間に)同じことがされています。

帰り道、各地の(もっと末端の)天理教の教会をはげまして回ってみたいもんだと生意気なことを考えたりしました。
湖東大教会.jpg
天理教湖東大教会(東近江市)に行きました。
(写真で)この大きさは伝わるでしょうか?
バス停の名前が「天理教前」となるのも頷けます。

湖東大教会3.jpgのサムネイル画像

7代会長の就任奉告祭が近々あるみたいです(創立120周年記念祭も)。
縁日の屋台が境内に用意されていました。
漫才師が来るのでしょうか、舞台も設営済み。


神殿で参拝してきました。
参拝場に上がると、25人くらいの人たちがおつとめをしていました。
おやさまの社は別の建屋にありました。
どうやって柏手を合わせるのかと思ったら、マイクで音を拾っていました。
みたまさまの社も別の建屋にあり、3つ祀っていました。

(天理教の)内情に疎い僕でもいろいろな噂は聞きます。
見に来られてよかったです。
当麻寺.jpgのサムネイル画像當麻寺(たいまでら・奈良県葛城市)に行きました。

折口信夫(民俗学者・国学者)の「死者の書」の舞台です。
當麻寺~耳成山~三輪神社は東西にほぼ一直線で結ばれ、その延長線上に伊勢神宮があります。建築家の磯崎新さんに言わせると、日本の土着の信仰がこの東西のラインです。

それに対し、當麻寺にある東塔と西塔は南北に並んでいます。
これは中国の秩序を取り入れたものです。

寺の内に東西のラインと南北のラインがあります。
古い日本の神々と外圧とのせめぎあいが寺のつくり(建物の配置)にでているそうです。

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北野天満宮.jpg北野天満宮(京都市)に行きました。
先日 前の職場の先輩と久しぶりに食事しました。

夏のボーナスがいくらであの人よりも少なかったとか、会社四季報でみると自分の会社の平均年収が情けない程少ないとか、後輩が不義理するとか、伊藤忠に行けばよかったとか、そんな話しばっかりしてました。

この先30年近く ずっと同じ話しを繰り返すのでしょう。

確かに30代は一番会社から働かされる時期です。報酬にある程度の不満があるというのは仕事をしている証拠です。

でも彼はそんなんではない。
例え伊藤忠にいってたとしても、ゴールドマンサックスに行きたかったとかいうのでしょう。

他との比較は大事ですが、気にしすぎるのは不幸です。

彼は一生しあわせになれない人間です。
近所に変態がでました。
いちおう玄関に木刀は用意しました。
浄土真宗の人と話しました。

子育てに失敗したそうです。
後継者であるはずのお子さんは、チベットに自分探しにいったりホストをしたり、ブラブラしてるそうです。浄土真宗でも縦の継承は難しいみたいです。
どこも状況は同じようですね。(「悪人正機で信仰に戻れば面白いですね」と言ったら笑ってました)

よく話しを聞くと 出身大学のお偉いさんでもありました。
(新設の)校舎の設計のまずさ(イスの配置に配慮がないなど)とか、学生に人物が少なかったことなどを率直に意見しました。

日本救世教と創価学会のことはディスってました。
後半、折伏するくらいの勢いで教義を解説してもらいました。
大徳寺.jpg大徳寺(京都市北区)に行きました。


金峯山寺.jpg
金峯山寺_山門.jpg

金峯山寺(奈良県吉野郡)に行きました。

写真の山門と本堂は国宝です。
山門手前の萬松堂の草餅を買って帰りました。
天皇陛下に献上しているものだそうです。


水平社博物館(奈良県御所市)に行ってきました。
めん馬鹿一代(京都)というラーメン屋さんに行きました。
ラーメンの上にネギ油をかけて火柱がでるパフォーマンスをするところです。
いかにも馬鹿が考えそうなことです。
楽しみにして行きましたが、結局、定休日で食べられませんでした。
manshoin.jpg
萬勝院(兵庫県上郡町)に行きました。別名・ぼたん寺。
ボタンの花はもちろん見られませんでした。屋根をかえてました。

法雲寺jpg法雲寺に行きました。写真は、ビャクシンという樹齢700年の大木です。



日本救世教の会長さんと話しました。
根本教義(どのような教えか)を質問しました。
帰ってきたこたえは「まぁ、皆が楽しく生きていくことですねぇ」でした。

(こちらが身許を明かしてないので)「しろうと」だと判断して、簡単な言葉でいってくれたのかもしれませんが、これではこたえになってないと思いました。

自分の信仰するものを聞かれて、論理的にテキパキと説明するのも「わかってない」と思いますが、こたえがあまりに漠然としてると説得力を失います。

皆さんは自分の信仰を語れますか?
(僕は語れません。エラソーに言ってすみません)

こういう場合、2代真柱のいった「私こそ天理教だ」といった旨の発言が、やっぱり月並みですが僕の目標です。ドゴールの真似(私こそフランスだ)か、ドゴールが真似したルイ14世(朕は国家なり)の真似かというのはどうでもいいことです。

滲みでる信仰心というのが本物の信仰なのだと思います(何人か顔が浮かびます)。

しかし、そうなるためには人格の陶冶を時間をかけてする必要があります。
僕はそんなこと(「私の生き方こそ天理教だ」とは)一生いえない人間です。でも努力を怠った瞬間に堕落します。だから僕はやっぱり非僧非俗です。
日本救世教の教会長さんとお話ししました。
大本から分派した日本救世教。
こちらも宗教と芸術の融合が教義に入っています。

琳派のコレクションを見せてもらいました(美術館併設・休みなのに開けてもらいました)。主に俵屋宗達と尾形光琳の水墨画が展示してありました。
知ったかぶりをしないように感じるまま感想を述べました。素人批評ですが、おおむね同意してもらっていたように思います。

光悦の書がありました。さすがに器はなかった。
yakusiji.jpg薬師寺に行きました。
和辻哲郎の「古寺巡礼」でピックアップされてる場所。
17時で終わりだと主張する関係者を振り切って、和辻の絶賛した本尊を見てきました。

ちなみに、「古寺巡礼」に天理教に言及しているところがあります。
和辻は教祖に好意的な評価です(「おそらく教祖の信仰は本物であったろうと思われる」)。

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