2012年1月アーカイブ

交差点で2千円拾いました。

今すぐ それ交番届けませんでした。(急いでポケットにしまいこみました)。
いつだって僕は不道徳漢です。近所でも評判です。

朝からのラッキーに機嫌を良くしてたら 横断歩道のど真ん中でへたりこんでいる方がいらっしゃいました。お尻丸出しで、車がビュンビュン走っている中央分離帯で動けないようでした。(リンリンランラン)ソーセージも見えてました。中高生・出勤前の方が白い目で見てました。

放っておいては危険すぎるので 声をかけて 何とか歩道まで這ってもらいました。ズボンを持ち上げて身なりを整え、コンビニ前にいたヤンキー5・6人に後のことは託して 僕はその場を去りました。

あとから気がついたのですが あの2千円はあのおじさんのものだったのかもしれませんね。去り際 託したガキの一人に「仕事頑張れよ」とタメ口で言われたのに激怒して気がまわらなかったのですが。


原爆死没者慰霊碑.jpg
原爆死没者慰霊碑に行きました。

原爆死没者慰霊碑は当初 イサムノグチがモニュメントを作成する予定でした。
でも、イサムノグチがアメリカ国籍という理由から丹下健三に引き継がれて現在に至っています。

当初のイサムノグチ案では地面を何メートルも掘って 地下の空間から石のアーチが飛び出るようなデザインでした。原子爆弾の威力をあらわす巨大なモニュメントになる予定だったのが 丹下案ではひょこっと半円が地中からでて何のことなのかわからない写真のようなデザインになっています(奥に原爆ドームが見えます)。

碑文 「安らかに眠ってください 過ちは 繰り返しませぬから」
は定期的に落書きや毀損をされていますが、最近もスプレーで落書きされたようです。

児玉誉士夫(右翼・フィクサー)の残党でしょうか、主語をトルーマン大統領にしたこともあるのですね。

広島市内には天理教の大教会がありません。
あれば合間に行きたかったのですが、僕の見る限り見つかりませんでした(間違ってたらごめんなさい)。

原爆投下で34万人いる住民の約14万人が亡くなったと聞きます。生き残っても後遺症とか被爆者差別などで悲惨な地域だったと思います。

戦後、誰がヒロシマの人の心を慰めたのでしょう。

天理の教えでは救えなかったのかな?
いや、先人は全力を尽くしたと思います。そもそも、大教会になったからって無条件にエライわけではないですし、各地の布教師が持ち場立場で、口先ではない「できる限りのこと」をされていたと思います。

とにかく、ヒロシマの人に一瞬でも安らぎがあったと思いたいです。
担い手が天理教じゃなくても、天皇陛下でも広島カープでも、あるいは創価学会でも・・。

とかいったら袋だたきにあいますね。
原爆ドーム.jpg原爆ドームに行きました。

「現在も ○ベクレルの放射能が出ています」とか書いてあったら、ここに来られた方はアメリカへの見方が変わるでしょうね。今回の津波より 10倍近い死者がでたヒロシマに対しても、それぞれ思いを馳せるんじゃないかと思いました。

きっと、ほこり程度の放射線量しかでてないのでしょうが、みなさん大騒ぎするでしょうから。
平和大橋.jpg
平和大橋を見に行きました。
イサムノグチ作。
厳島神社.JPG厳島神社に行きました。

朝っぱらからフェリーに乗って行きました(何でもかんでも市場競争すればいいとでも思ってる人は広島には少ないんだなと思いました いい街ですね)。

ご存知の通り、この鳥居は支えがありません。重みで地面に刺さってるだけです。土地家屋調査士の方が感心してました。

本当は夕暮れに行きたかったです。
しゃもじ牡蠣めし.jpg広島にいます。
しゃもじ牡蠣めしを食べました。駅弁で評判が良いようです。
おいしかった。ハングリーやったからかな。ということは 華城の人と食べたらもっとおいしかったでしょうね。


知恩院.jpg
知恩院(京都市)に行きました。
十日戎.jpg今宮戎神社(大阪市浪速区)に行きました。

十日戎は、10年ほど前に俳優の大村昆さんをみこしで担いだアルバイト以来です。
唐招提寺.jpg
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唐招提寺(奈良市)に行きました。

柱がきれいでした。
エンタシス(中央部がふくらんでいる)の柱。「金堂の正面の柱は8本で、アテネのアクロポリスの丘のパルテノン神殿と同じ」だそうです。
シルクロードを通ってギリシアの技術が日本で活かされたのか。おもしろいですね。
893の方とお話しする機会がありました。(見たところ)カタギに手を出しかねんタイプの方だったので多少緊張感を持って接しました。

ビジネス書とかでよくある「ヤクザに学ぶ交渉術」みたいなのを地で行く方でした。感情的になる、自分の意見を少しも譲らない、など基本はきっちり押さえてらっしゃいました。見事でした。

サントリーの子会社かなんかの人がポカをしたのか、お詫びの品を持ってきてました。感謝どころかその時の失敗を蒸し返してお怒りでした。
奥さんの肩にも和彫が見えました。この奥さんも加わってその営業の方をなじってました。
営業の方は腰をくの字に曲げてこれ以上平身できない状態から 首をペコペコ低頭して謝ってました。

普通、夫婦はどっちかがバランスをとるもので旦那がやり過ぎてたら「すみませんね、うるさくて」ぐらい言って調整するものですが、夫婦で責めてたので感動してしまいました。

帰り際 どこでこんなん置いてんねんってくらいいかがわしいフリーペーパーをもらいました。
紀三井寺.jpg紀三井寺(和歌山市)に行きました。

西国三十三ヵ所巡りの二番礼所。
寄木造りでは日本最大(11m強)の金ピカの千手観音像があります。
「カインの末裔」(有島武郎)を読みました。

臨終間際の主人公の子供に、天理教の信者がおさづけを取り次ぐ場面があります。
しかし、残念ながら死んでしまい、主人公に逆恨みをされてしまいます。 

考えさせられます。

目の前で重病人が出た時に、まずおさづけができるか?
例えば、目の前で交通事故があったとして、救急車を呼ぶなんかよりも何よりも、おさづけができるか?
交通事故で頭から血が出ている時に、おさづけができるか?

社会通念上、まず救急車を呼び、待つ間におさづけをするというのが「普通」でしょう。
でも、それじゃあ弱い、と思います。

とか言ったら大問題ですね。
正月から不穏なこと言ってすみません。
でも、お客様は神様じゃありません。

「お客様は神様です」というのを本当に言えるのは、商売を何年もやって、いろんな経験をしたひと握りの方だけです。上っ面でいうことは誰にでも言えます。

大体、お客さんのいうことを聞いてたら大変なことになります。僕も働くなかで少しは経験しています。(お客さんのいうことを真面目に聞いていたら)損はするし、法は犯すし。

お客「様」という呼び方も過剰であると思います。お客「さん」くらいがちょうどいいのではないでしょうか?

そもそも神様とは、良いことだけじゃなくて悪いこともします。どんな状況でも圧倒的な存在です。それでも足元に平伏してしまう。悪いこともするということも含めて神様というのなら間違いじゃないかもしれませんが、 「お客様は神様です」と言うとき、われわれはお客様は慈悲に満ち満ちていると考えるでしょう。

その意味でいうなら やはりお客様は神様じゃありません。
そもそも 我々の神様は天理王命様です。

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