西本願寺に行きました③

| コメント(0) | トラックバック(0)
と、書いたところで
天理教の根本テキストである、みかぐらうた(五下り目)の「どうでもしんじんするならバ 講をむすぼやないかいな」の意味を考えてみました。
講というのはざっくりいうとグループぐらいの意味ですよね。

親鸞は講を許さなかったという。
蓮如が講を組織して教団を大きくしていったそうです。
親鸞が何故、講を許さなかったのか知りませんが、おそらく組織化することで政治が生まれることを警戒していたのではないかと思います(誰か詳しい方、正しいことおしえてください)。内村鑑三の無教会主義を考えてしまいます。

我らが教祖は 多分その辺の事情を(感覚的にせよ)よくご存じだったのでしょう。
「人が集まると組織が生まれ権力が発生する」と。

それで「どうでも信心してくれるのであれば(神意にかなう奴ばっかりであるならば)」という条件付きで「講を結んでもよい(グループをつくってもよい、つまり教会を作ってもよい)」と許可したのではないでしょうか?

現下の問題は「全然信心していない人間が講を結ぶことばかり考えている」ということだと思います。

とか言ったら怒られそうですね。
もうこのくらいでやめます。ごめんなさい。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://obon.oops.jp/mt-tb.cgi/110

コメントする

このブログ記事について

このページは、おぼんが2011年11月28日 00:30に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「西本願寺に行きました②」です。

次のブログ記事は「なら100年会館を見てきました」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

ウェブページ

Powered by Movable Type 5.11