先日、嫁のお祖母さんがお亡くなりになりました。
とても天理教がお好きで 痴呆が進んでほとんどのことをお忘れになられても、信仰だけは忘れないでいたそうです。お道の話しをする時は、いつも楽しそうにされていたと聞いています。
信仰っていうのはこういうことなんだと思います。
いくらお勉強をしようが、難解な議論をしようが、「我こそは信仰の真髄をわかっている」と豪語しようが、知識(knowledge)や情報(information)がどんどん無くなったあと、何が残るか。
こわいですね。
父が晩年、二日酔いか何かでウーウーいって苦しんでいる時に、鼻歌でよろづよ八首を歌っているのをきいて、強く感動したことを思い出しました。
とても天理教がお好きで 痴呆が進んでほとんどのことをお忘れになられても、信仰だけは忘れないでいたそうです。お道の話しをする時は、いつも楽しそうにされていたと聞いています。
信仰っていうのはこういうことなんだと思います。
いくらお勉強をしようが、難解な議論をしようが、「我こそは信仰の真髄をわかっている」と豪語しようが、知識(knowledge)や情報(information)がどんどん無くなったあと、何が残るか。
こわいですね。
父が晩年、二日酔いか何かでウーウーいって苦しんでいる時に、鼻歌でよろづよ八首を歌っているのをきいて、強く感動したことを思い出しました。

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